心理と絶望
大学で心理学を学んだ。
入学当時、心理学では「占いは確証バイアスである(=自分に当てはまると誰もが考える傾向がある)」と学ぶ。
心理学部生は様々な思いを用語でねじ伏せられる。
血液型と性格の関係についても、92%の人がO型のような輸血し放題な国では、成立しない。
血液型診断は日本のような血液型がいい感じにバラけてる国でしか意味がない。
入学までに心理学としての知識だと感じていた100ピースが、入学後に雪崩落ちる。ただこれは何も辛くもなく、今の科学では証明できていないだけだと反抗したい反面、新しい価値観に救われることも少なくない。
心理学を勉強し、気づいたことは自分を知ることはなんてできないということ。
自分に期待し本当の自分を探そうとすると、ただただ時間だけが過ぎるのでやめた方が良いということだ。
これと同時に人の心を読むなんてこともできない。私は心理学を勉強したが、全く空気が読めないのである。
空気と読むということは、人の気持ちを理解することと同じだから、「空気を読めない=人の気持ちが分からない」と言い換えてもいいだろう。ただこの人の心を読むことは諦めても、人には気を遣う努力はしようと決めている。私は孤独では生きていけないからだ。あと割と人間が好きである。
「心理学を大学で勉強したい」と親に伝えると、「意味がない」と反対されたという話をよく聞く。
心理学の勉強は意味がないと考える人は心理職になることもなく、「人の心を知る=趣味」とでも思っているのであろうか?
そのように、心理学を趣味などの言葉で片付ける人がいれば、心理学部に入学し統計という必修科目と戦ってほしい。
心理学は、人間の心を科学を使って理解する学問である。もともと外国では理系科目だ。
しかし日本が心理学をとり入れたのは社会学部の教授だったということもあり、文系の括りにされることが多いようだ(本当かは不明)。